
はじめまして。パン職人であり、ライターの中村ことはです。
パンには、焼きたての香りだけではなく、土地の記憶や季節の気配、人の手しごとが静かに宿っています。
そして、そんな背景を知るだけで同じパンでも味わい方がふっと変わる。
パン好きなら、一度は感じたことがあるかもしれません。
そんな“パンの奥行き”を、浜松在住のパン職人×ライターの私が、毎月そっとお届けする連載コラムがスタート!
読み終わったら思わずパン屋さんへ寄り道したくなる──そんな世界へご案内できたら嬉しいです。
冬になると恋しくなるシュトレン

初回は12月になると食べたくなる“冬を待つパン”。
ドイツの伝統的なクリスマス発酵菓子「シュトレン」の話から旅を始めましょう。
12月。街でイルミネーションやクリスマスツリーが輝く時期になると、食べたくなるのがシュトレンです。
表面に粉糖がまぶされ、白一色の姿はまさに雪の積もった冬景色をイメージさせます。
ドライフルーツとナッツ、バターがふんだんに使われており、手に取ってみると見た目以上にずっしりとした重さに驚く方も多いようです。ふわっと広がるバターとラム酒の香りに、ナッツの食感がアクセント。コーヒーや紅茶はもちろんワインとも合う、冬ならではの発酵菓子です。
つい一気に食べてしまいそうになるのですが、実は「少しずつ変化していく味わいを楽しむパン」なのをご存じでしょうか。
購入から3日後に気づいた“時間で変わる味”

私がシュトレンの奥深さにとりつかれたのは、フランス留学中の冬。
どうしても本場のクリスマスマーケットを見たくて、一人ドイツへ向かったときでした。
路地のベッカライで出会ったシュトレンは驚くほどシンプルで、具材はレーズン、オレンジピールとレモンピールのみ。ただ購入したのはいいものの、ドイツでは宿で少しつまんだだけでした。旅行中は現地で食べたいものが多すぎて、目移りしていたんですね。
フランスの下宿先に戻り、ようやく落ち着いて一切れを味わったのは購入から3日後。
私ははっきりと味の変化に気づきました。「え、全然違う…」と思わず声に出したのを覚えています。
ドイツで食べたときは、表面はややしっかりさが残っていて、噛むとまさに“パン”そのものでした。
それが、指でつまんだだけですでに柔らかさが違ったんです。口に含めば、バターとラム酒の香りがふわっと漂い、しっとりとした食感に気づきます。たった3日でまるで別のお菓子のようでした。
シンプルだったからこそ、味の変化に気づけたのだと思います。
こんな風に味の変化が楽しめるのは、大量のバターと砂糖のおかげです。
バターと砂糖が生む“熟成の仕組み”
最初にシュトレンを仕込んだときは驚きました。
焼き上がったばかりのパンを、溶かしたバターの中にドボン!
ドキドキしながら引き上げたら、今度はグラニュー糖をまぶし、これでもかと粉糖をまとわせる…
あまりの使用量にレシピを3回確認してしまったほどです。
でも、あの豪快なバターと砂糖の量こそが、長期保存を可能にし、時間とともにおいしさを深めるための仕掛けなんですね。焼き上がった生地にバターを染み込ませても表面だけで、中心まですぐには届きません。
時間をかけてじわじわと浸透していき、その過程で味と食感の変化を楽しめるのです。
さらに表面を砂糖でコーティングすることで水分を安定させ、風味も閉じ込められます。
シュトレンの魅力と作り手のこだわり
パン屋さんでは「一番おいしい瞬間」に味わってもらいたいと、焼いてから数日〜数週間寝かせて味が落ち着いてから店頭に並べています。
購入した後の食べる瞬間までこだわるところに、職人の心意気を感じませんか?
日本でもパン屋さんやスーパーなどで多くの場所でよく見かけるようになり、どれにしようか毎年悩みます。
同じお店でもノーマルや抹茶、チョコに和風など数種類販売されていて、つい目移りしてしまうほど。
そして、いつも2つ手を伸ばしてしまうのですが…
華やかなクリスマスケーキに比べると、白一色のシュトレンは地味に感じられるかもしれません。友人のお子さんからは「ケーキのほうがいい!」と言われることも…
12月に寄り添う、ゆっくりと味わう時間

ただ、私にとってシュトレンは、慌ただしい12月の中で唯一“時間がゆっくり戻る瞬間”をくれる存在です。
本場ドイツでは、クリスマスの準備期間であるアドベントに少しずつスライスして食べる習慣があります。
師も走るほど忙しい12月。白い包みを開いた瞬間だけ、12月のざわめきがふっと遠のく気がします。
毎日ひと切れずつ薄く切って味わう時間は、ワクワクを取り戻し、自分のペースを取り戻すためのひとときです。 今日帰ったら、シュトレンが待っている。そう思うと、仕事にも家事にも熱が入ります。
時間と共に変化するシュトレン。今年はクリスマスの前から、待つ時間も一緒に楽しんでみませんか?
中村ことは(パン職人/ライター)

2008年、東海調理製菓専門学校を卒業後、大手ベーカリーに入社。関東の個人店へ転職し責任者を務めるも「パンが主食の国で生活したい」という夢を追い、2019年フランスへ。留学中にコロナ禍となり帰国。再び関東のベーカリーへ就職するが、仕事中のぎっくり腰をきっかけにライター業をスタート。2022年浜松へUターンし、現在は市内のパン屋さんで働きながらフリーライターとしても活動している。“2足のわらじ”で、自分にとってのワクワクする働き方を模索中。
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